僕のイタリア旅行記①

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江馬 潤 先生の写真 江馬 潤 先生

僕のイタリア旅行記①

皆さん、こんにちは!

実は今年のゴールデンウィークに
思い切ってイタリアへ旅立ってきました✈



青い空、美しい街並み、
そして本場のパスタとジェラート…想像していた
以上に素晴らしい体験の連続でした^ ^

ローマの壮大な遺跡に圧倒され、
ヴェネツィアの幻想的な風景に癒され、
毎日が新しい発見と感動の連続でスマホの
シャッターを切る手が止まりませんでした!

このブログでは、
実際に訪れた場所の情報や現地で感じた
リアルな体験談を皆さんと共有していきたいと思います。

これからイタリア旅行を計画されている方にも、
少しでも参考になれば嬉しいです。

その前に、ローマの歴史について
少しお話ししたく思います^ ^

紀元前753年、
伝説の双子ロムルスとレムスによって
創設されたとされるローマ。
「すべての道はローマに通ず」
という言葉が示すように、
この街は2000年以上にわたり
西洋文明の中心として君臨してきました。

共和制ローマ(共和性とは国家元首が君主ではな
く、国民の代表者が統治する政治体制のこと)は
紀元前509年に始まり、民の声を代表する
元老院を中心とする政治体制を築きました。

その後、シェイクスピアの戯曲
「ジュリアス・シーザー」
でも有名なユリウス・カエサルの暗殺を経て、
甥のオクタヴィアヌスが権力を掌握して紀元前
27年にローマ帝国が誕生します。

この頃、日本は弥生土器が生まれた頃です。
既にローマは帝国を築き上げ、強大な軍を
持っていたんですね∑(゚Д゚)

ローマ帝国は、約200年の繁栄期を経て、民衆の
ご機嫌をとるためにコロッセオやパンテオン
など、今日も残る壮大な建造物が次々と建設しました。

しかし3世紀以降、帝国は徐々に衰退します。
395年には東西に分裂し、西ローマ帝国は
ゲルマン人によって滅ぼされました。

この「ローマ帝国の滅亡」は
西洋史における重要な転換点となります。

帝国崩壊後は貧困な人々が溢れる中、
キリスト教の
「神の前では平等」
「来世での救い」
が民衆の心を掴み、
ローマはキリスト教の中心地として存続し
バチカン市国を擁する世界的な宗教都市へと変貌を遂げます!

ルネサンス期には芸術の中心地となり、
「ミケランジェロ」や「ラファエロ」といった
巨匠たちがローマで数々の傑作を生み出しました。

ローマは19世紀にイタリア王国の首都となり
政治の中心であり続けています。

現在のローマは古代の遺跡と近代の都市が共存
する不思議な空間で、カフェでエスプレッソを
楽しむ地元の人々の横で2000年前の建造物が
静かに佇む光景は、
まさにローマならではの魅力です(*´∇`*)

歴史のお勉強はここまでです。
お待たせしました^ ^


それでは、旅に出発です!
まず最初は、直行便で15時間のフライト
を経てミラノに到着。



ミラノの街並みは、綺麗なオフホワイトや
ベージュの石造りで統一されていて、
いきなり歴史を感じる風景に圧倒されながらも
向かう場所は「サンタ・マリア・デッレ・
グラッツィエ修道院」へ!

勿論、レオナルド・ダ・ヴィンチの
「最後の晩餐」を見るためですヽ(*´∀`)



この絵は、修道院の食堂の壁に
縦4.2m×横9.1mと大きく描かれており、
ダ・ヴィンチの最高傑作となりますが、
実は1498年に完成したこの絵は長い年月で
9割以上が大きく損傷してしまい、
1977年から1999年にかけて1人の修復家が20年
以上費やし現在の状態まで描き上げた作品なのです。

なぜ損傷が激しいかというと、ダ・ヴィンチは
湿気に強いフレスコ技術を知らなかったので、乾
いた漆喰にテンペラで描いてしまったからです。

「フレスコ技法」とは、乾いていない新鮮な
漆喰に石灰水で溶いた顔料で描く方法で、水に
つけても滲まずに保存される特徴があります。
ミケランジェロやラファエロの壁画は
全てフレスコ画なのです。

しかも、
食堂の壁なので湯気が絵画に悪影響を及ぼし、
痛むのが早かったと言われています。

天才ダ・ヴィンチも
絵画の技法は習得してなかったのでしょう。

しかし、構図は遠近法、明暗法を用いて
迫力のあるものになっています。

キリストを囲む12人の弟子も、表情ではなく
その指先の描かれ方で全てが表現されています。

この絵の都市伝説は無数にあり、
ダ・ヴィンチからのメッセージが随所に
隠されていると言われています。

食卓に置いてあるパンを音符に例えて
五線譜に乗せると戯曲が出来上がるとか∑(゚Д゚)

YouTubeでも聴けるので、気になる方は是非(笑)

続いては、「スターバックス・リザーブ・
ロースタリー・ミラノ」へ!



ここは、世界で3店舗目の高級志向の
スタバであり、古い外観の素敵な郵便局を
そのままスタバとして使ってるのです。



実際目の当たりにすると、
世界で最も荘厳なカフェであることを実感します!



ここは、ミラノのランドマークでもある
「ドゥオーモ」からも5分と近く、
近隣も歴史を感じる建物と大勢のお洒落な
ファッショニスタばかりで、とても素敵な
佇まいです。

中に入ると巨大なロースターがグルグル回っています。



皆、ミラノ店でしか買えないグッズや
コーヒーなどを探して訪れているようです。



我々は、2階の混雑のない席でコーヒーのお酒と
アーティチョークと生ハムのサンドイッチをいただきました^ ^



コーヒーテイストのお酒は甘すぎず苦過ぎず、
冷えていてスッキリとした飲み心地で美味しいの一言尽きます。

そして、このミラノにしかないサンドイッチが
とても絶品で、
毎朝でも食べたい気持ちになります( ´∀`)

このあとは、ドゥオーモ広場にある教会へ!



そこには素晴らしく巨大なゴシック建築の教会が
あり、当時の教会事情が垣間見られます。

当時のキリスト教は教会の大きさや高さ、その
荘厳な装飾を他の教会と常に競っていました。

このドゥオーモの教会も、やたらと高さがあり
素晴らしい迫力を醸し出していますが、
これはひとえに
「フライング・バッドレス」という
建築方法のおかげですヽ(*´∀`)

横に幾つも伸びている壁は、無数に天に伸びる
屋根上の装飾の重さを分散するために拡張
させているのです。

それにしても荘厳で圧倒されてしまいますね!

ここで、イタリア観光の悲しい注意点を
いくつかお話しします >_<

イタリアは非常にスリが多く、この広場で
教会に圧倒されて熱心に写真を撮っていると、
後ろから忍び寄ってポケットやカバンの中身を
すられる危険性があります。

万が一、スられても対応できるように、
パスポートはポケットに入れず、クレジット
カードも3枚ほど分散させて持つと良いです。

パスポートを盗まれると大使館で発行までに
1週間以上かかるので出国できません!

なので、
即日発行して貰うために「戸籍抄本(謄本)」
をとって持参すると良いでしょう。
スマホも一瞬で盗まれるので、ネックスト
ラップで首から下げててくださいね( ̄▽ ̄;)

実際、我々も後ろから来た
怪しげな2人組に遭遇しました。

未遂に終わりましたが、
皆様もご注意くださいね。

そしてお腹も空いて来たので、
念願の本場のパスタを食べにミラノの有名な
ショッピングアーケードの
「ガッレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」へ!



行ってみると、とても美しい装飾の石造りのお店がズラリと。

天井のガラス細工も素晴らしく、
ここでもその優雅さに圧倒されてしまいます((;゚Д゚)))

そして、GoogleMapでも人気のある
「Ristorante Galleria」へ。

陽気なウェイターに連れられてテラス席に行き、
ここでは、お目当てのカチョエペペと生ハム
メロンをオーダーしました!



カチョエペペとはイタリア語で
「チーズと胡椒」という意味です。
ここの生ハムは口の中に入れただけでとろける
柔らかさで、その塩味とメロンの甘味が見事に
ミックスされてとても美味しく、
カチョエペペは、
濃厚なチーズとブラックペッパーがかかるだけ
でシンプルですが、シンプルが故にチーズのコクを引き出してくれます^ ^

陽気にクネクネ踊っているウェイターさんも
いて、さすがラテンとイタリアに来た実感が倍増しました。

ただ、食べてるそばから空いたお皿を猛スピード
で回収に来るウェイターさんに日本人歴の長い
私はビックリしました(笑)

これは、外国あるあるらしいですね。。
見るもの、食べるもの全てに感動して、
興奮冷めやらぬままにホテルに戻りました。

(何度も言いますが、イタリアは窃盗も多いの
で、食べている時もバッグ類は肌身離さず
抱えるか、見える場所に置くことをお勧めします)

ミラノの人たちはとても温かく親切で、
都会でありながら古き良き石造りの街並みを
堪能できる長閑な雰囲気が最高でした♪



明日はイタリアの新幹線と言われる
「イタロ」に乗ってベネチアに向かいます!

次回のブログもお楽しみに(*´∇`*)

江馬 潤 先生の写真

江馬 潤 医局長
えま じゅん

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内科研修を経て、美容皮膚科に携わる。患者さまお一人おひとりの気持ちに寄り添い、丁寧に対応するよう心掛けています。人生を楽しく過ごせるよう、一人でも多くの方のお悩みを全力でサポートします。

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